nicoは、
出会った当時、
とても動物病院に連れていける精神状態ではありませんでした。
キャリーケースに入れようとしたことはありましたが、
大暴れして、
気になっていた咳が余計にひどくなり止まらなくなりました。
そこで、当時は往診専門の先生を探し、
家でnicoを診ていただいていました。
それが果たしてnicoにとって良いことだったのか、
注射や投薬治療はわたしのエゴだったのか、
今でも色々と考えます。
わたしがnicoをとても愛していて、
nicoもわたしを愛してくれていて、
深いところで繋がっている。
そう感じずにはいられない関係だったことは、
しっかりと確信しているので、
nicoにとってもわたしにとっても、
良かったかどうかは、
ずっと分からないけれど、
nicoのために出来ることは全てしたいという思いと、
それを行動に移し続けたことに、
嘘も、
エゴも無かったと思っています。
当時から、
全ての診療記録をノートに貼って保管しています。
nicoが虹の橋のたもとへと旅立った当時は、
あまりに辛くて見返すことは出来なかったけれど、
その続きにtaroの記録が繋がっている今、
nicoの生きた証の1つとして、
見返しています。
まだ、穏やかな気持ちでは見返せません。
やっぱり涙もこぼれますし、
すーん・・・・と、
沈んでいく感じです。
それでも、こうして残しておいたことも、
nicoへのわたしの祈りであり、
生きて欲しいという願いでした。
nicoの生きざまと、死んでいくかもしれないことから、
決して目をそらさない、
向き合う、何なら、
抱き合う覚悟だった自分を、
今でも感じます。
taroもeveも、
全て保管しています。
処方されたお薬のパッケージを貼ったり、
効果を記しておくと、
後々役に立つかもしれません。
療法食は、味も効果も色々なので、
お試しを病院からもらって、
食いつき加減を記しておくと良いですよ。
ワクチン接種のお知らせなども、
しっかり保管。
nicoがいよいよしんどくなった時、
今通っている動物病院に連れて行きました。
その時、nicoはもう暴れる元気もありませんでした。
待合室で涙をこぼさないように、
nicoの入っているキャリーケースを抱き締めて、さすって、
我慢し続けていたことを覚えています。
nicoが亡くなってから、2か月後にtaroを保護しました。
taroの検査のために、同じ動物病院に行った時、
nicoが最後に診察を受けた部屋に通されました。
まったくの偶然だったのですが、
その時、子供の頃以来、他人の前で泣きました。
nicoを想って、
ポロポロポロポロ泣き続けました。
そして、
泣き続けるわたしを黙って見守ってくださっていた院長先生に事情を少しだけ言って、
まだ、この子を育てられる気持ちには、
なれないと告げました。
院長先生は、
頷いて、家族を探すなら、協力するからね。と言ってくださいました。
それから何度目かの診察の時、
院長先生に、家族に迎えることにします。と告げました。
院長先生は、良かったね、taroちゃん。
と、taroに言ってくださいました。
話があっちこっちに
いってしまいました。。。
検査結果や、診察結果、
そういった記録は全て残しておくことも、
家族としては、
大事なことかもしれませんね。
生き物を飼うということは、
命を共にすることです。
預かるとか、管理するとか、
そういうことではなく、共にすることだと思います。
出来ることを、
結果を求めずに、
愛をもって行いたいですね。。。
(やっぱりまとまらなかった・・・。)
nicoの診察記録ノートの最後のページには、
診察券(なぜか2枚)と、写真。
そして、家の前まで車できて、
車の中で火葬してくださった、
葬儀業者さんの領収書を貼っています。
この火葬のお話しは、
またいづれ・・・。
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